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つまみぐい

お年頃な私のミーハーなブログ

私の手放してしまった人生〜ラ・ラ・ランド感想

ラ・ラ・ランドを見て泣いた。

号泣した。

そして確信にかわったことがある。

女は、好きな男と歩む人生か夢をかなえる人生かどちらかしか手に入らないということ。

 

私は大学卒業後、銀行の総合職として入り、数字数字の世界で男と肩を並べて、仕事をした。四半期を迎えるたびに白髪が増えた。ゴルフもしたし、飛び込み営業もしたし、接待もした。総合職の女性は男性より断然すくない上に、今は女性の役員登用の政府目標が…なんていってるから、支店長になれたかもしれない。

でもその人生の捨て、普通の男性との結婚を選んだ。

 

主人公のミアは二十代半ば。

ミアは2つの人生の分岐点にいる。

1つは好きな男と生きる人生。

象徴的なシーンは、ミアが一度は女優の夢を諦めかけ、田舎に帰るのだが、セブが迎えに行き、クラクションをブォンと鳴らしたところ。「夢と現実の差をまのあたりにする。恋人は夢を叶えていて焦る。好きだけど素直になれない」とゆう典型的な男まさりな女を、一回り大きな優しさで包み込むセブにぐっとつかまれて、涙がでた。私はたまに旦那と喧嘩する。旦那は絶対先に折れてくれる。私が悪くても。これが私の手に入れた人生。

 

2つ目は夢を追う人生。

ミアはチャンスをつかめるかどうかのオーディションで、歌を歌う。夢追い人への祝福を、という歌詞。

 

耳を澄ませばを思い出した。しずくがスランプに陥って小説を書いても書いても納得いかない。先に夢を叶えるための足がかりをつかんで行ってしまう恋人。足掻いて足掻いてつかめるものはあるのか、そんな不安に押しつぶされそうになる。

でも、その足掻いている姿は本人にはわからないが、それを経験してきた人には素晴らしいものに映るのだ。

聖司くんの祖父が、しずくに「この小説はめちゃくちゃでひどい。だけどあなたは素晴らしい」と言う。この言葉がこの話の全てだ。もう自分にはない若さゆえの足掻きを心の底から羨ましいと思い、賞賛しているのだ。夢を追いかけ足掻いている姿の素晴らしさは、3年前はわからなかったが今ならわかる。男と肩並べて、取引先を走り回っていたあのときには、そのことが、わからなかった。その素晴らしさがわかるのは私が今その渦中にいない故にだ。これが私の手放してしまった人生。多くの女が手放す人生。

 

それと同じように、ミアは女優の夢を叶えたが、セブとは一緒になれなかった。

銀行時代の同期は多くが仕事を辞め、好きな男と生きる人生を歩んでいる。

耳を澄ませばのしずくはきっと聖司くんと一緒にななれない。

女の人生全てを手に入れることはできない。仕事、結婚折り合いをつけ、その中でいきているからこそ、手に入れることのできなかった人生に思いを馳せるのだろう。

 

ラ・ラ・ランドは私の手放してしまったもう1つの人生を見せてくれ、涙で洗い流してくれた。